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団体紹介

NPO法人 茨城県断酒つくばね会 土浦霞ヶ浦断酒会

最終更新日:平成30年7月19日

NPO法人 茨城県断酒つくばね会 土浦霞ヶ浦断酒会 NPO法人 茨城県断酒つくばね会 土浦霞ヶ浦断酒会
設立年月日 昭和56年12月6日
代表者名 高橋 幸夫
連絡担当者名 高橋 幸夫
連絡先
住所 土浦市永国東町14-1
TEL 029-822-1895
FAX 029-822-1895
E-mail yqrgp968@ybb.ne.jp

団体詳細

会員数 38名
会員の年齢層 50代
会費等 入会金1,000円(内訳:NPO法人茨城県断酒つくばね会500円、土浦霞ヶ浦断酒会500円)会費月1,000円
主な活動地域 四中地区コミュニティセンター(四中地区公民会)
活動日・時間帯 第1・第3週 日曜日 13時30分~16時00分、第2・第4週 土曜日 19時00分~20時30分
活動分野 【健康・福祉】 健康・福祉に関する活動全般,障害者福祉
【子育て】 子どもの健全育成に関する活動全般
活動内容

NPO法人 茨城県断酒つくばね会(土浦市)の支部として、土浦霞ヶ浦断酒会の活動を行っています。

①酒害啓発のための断酒例会及び市民公開セミナーの開催
アルコール起因による自殺者根絶推進や.専門医による講演会、相談会の実施や、自殺体験者の体験談を披露するなど、啓発活動を続けていきます。
②飲酒問題撲滅キャンペーンの実施
イベントでのチラシ配布や相談会を実施します。
③市民家族教室・相談会の開催
1.行政・医療による家族相談会への参加、(酒害者家族の体験よりの支援)
2.行政よりの要請により家族相談会開催
④定期的例会&酒害相談会
⑤酒害者家族例会
⑥NPO茨城県断酒つくばね会行事への参加(県例会年4回、県主催行事5回程度)
⑦公益法人全日本断酒連盟行事への参加


公益社団法人全日本断酒連盟HPはこちら
(新しいウインドウで開きます)

  


活動目的 近年のアルコール依存症者は、女性、若年者、高齢者へと拡がりをみせていす。これらの問題を踏まえ酒害問題を減少・根絶する為アルコール依存症に関する啓蒙を行い、酒害の及ぼす社会悪の防止に努め共に、自らの意志により断酒生活を実行しようとする者と酒害者家族の、社会性回復の推進を図り、もって広く保健、社会福祉に寄与する為に活動しています。

活動報告

当事者家族体験談・13 断酒会とは【お酒での問題のある方】

断酒生活一年を顧みて

        F・K(依存症者本人)

 

 ここ一年間は、平々凡々と過ごしてきた。しかし、令和二年の四月三日、郷里福岡の長男が、八十四歳で亡くなり、急だったので単身で葬儀に帰郷した。

通夜の席上で酒を一口飲んだら止まらなくなり、深酒をしてしまった。その時は、未だ断酒会には入会してなく、でも断酒会には、オープン参加していましたが、五月一日付での入会です。

再飲酒したのは、豊後荘病院を退院してからは、その時の一度だけで、妻との口論でイライラする時があっても、我慢はできました。

そもそも入院するキッカケとなったのは、普段から酒好きで晩酌は勿論、妻が居ない一人の時は、朝から飲んで酔っ払っていました。サッカーが好きで、自宅がスタジアムの近くで、観戦するよりは飲酒している方が多く、帰宅時は千鳥足で、時には道端で寝ていることもただあり、家族には迷惑をかけることも屡々でした。

その他にも一寸暇を見つけては、外出してコンビニで酒を買い、飲んで道端で寝ている所を、通り縋りの車の運転手に助けて貰い、自宅まで搬送して頂いた事も何度かありました。

そういう事が続いた為、娘が病院探しに奔走した結果、石岡市の豊後荘病院をネットで調べ診察に行くことになり、院長先生の診断は、酒の飲みすぎで脳内が委縮され、これはもう八十過ぎの「脳」だ、人生の中で飲めるだけ飲んだ結果ですよ。

「アルコール依存症」という「病気」ですと言われ、初めて聞く病名でした。

これからは私の生い立ちになります。

私は九州福岡県で一番小さい町で、四男二女の末っ子として生まれました。二〇二〇年十月に長女が八十四歳で他界したので、私の兄弟姉妹は私一人となって

しまいました。ところで私の初飲酒は中学生の頃、親父の飲みかけのコップ酒を一口飲んだ時、苦く感じました。

それから高校(定時制)へ通学するようになってから、当時の仲間は、昼間働き夕方から学校へ行き、時には下校時に友達の下宿へ立ち寄り、飲酒する様になって盆・暮れは集合して、飲み会を開き深酒なった事もしばしばでした。

社会人となってからも、飲酒は止められず警察に保護されることもしばしばで、最大の悪業は居酒屋で酒を飲み、駐車場で酔いを醒まし少し運転した時に、パトカーに追跡され、免許停止では済まず取り消しとなり、警察の留置場・土浦の拘置場で、約二か月間身柄を拘束され、五~六人の大部屋での苦痛の毎日が、思い出されます。部屋には二十代の若者で、薬物や強盗・喝上げ等で逮捕された者で、異様な雰囲気に覆われていて、早くこの場所から逃げ出したい気持ちで一杯でした。交通裁判では執行猶予が付き即釈放され、その日のうちに自宅へ戻れました。

今では外出時自転車に乗っています。

その後は最初に話した通りで、隠れ飲みが始まり、フラット出掛けてはコンビニで酒を買い、酔っ払って自宅に帰れるときはいい方で、道端で寝込んでしまうのが当たり前で、気が付いたら部屋で寝ていたというのが、日常茶飯事でした。

今思うと、豊後荘という病院を娘が見つけてくれなかったら、どんな人生を送っていたのかと思うとぞっとします。

やはり家族そして娘が近くに居てくれて、良かったと思います。

最後になりますが、病院関係者の皆様、そして断酒会の皆様のおかげで、現在の私が居る否や、私たち夫婦が存在しているんだという実感が、ひしひしと感じています。

七十八歳迄、後六年は断酒を頑張ります。

そして夫婦で、結婚五十年を祝いたいと思います。

皆様本当にありがとうございました。

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